洋らん部会
1 役 員
役職名 |
役 員 |
部会長 |
竹内克彦 |
副部会長 |
内藤雅拓(会計)、花井靖宏、寺部浩章 |
地区幹事 |
浅井浩之、花井靖宏、都築賢、寺部浩章 |
顧 問 |
尾崎幹憲 |
1 あいちの洋らん生産
愛知県では、大正時代から洋らんの魅力に魅せられて一部で栽培が行われていました。戦前は販売目的に栽培されていたのは、主としてデンドロビウムでした。
昭和20年代は切り花の洋らんが多く取引されました。昭和30年代までは実生栽培が主でしたが、昭和40年頃、メリクロン培養技術により苗生産量が一気に増加し、さらに、シンビジウム及びデンドロビウムの山上げ栽培により、出荷時期の拡大が可能になりました。これらのことをきっかけに、昭和40年代前後に安城、豊田、豊橋、渥美地区の観葉植物生産者が一部洋らん生産に移っていきました。
昭和60年代に入るとファレノプシス、デンファレ、オンシジウム等の苗を海外から輸入するようになり、栽培期間の短縮ならびに生産量が増加しました。平成に入ると、栽培品目の多様化、海外とのリレー栽培が行われるようになり、生産効率が向上するとともに、消費の多様化に対応した栽培が追求されていきました。
販売では、切花はヤマヱ生花市場によって消費開拓なされていましたが、鉢物栽培を行うに当たり取引する場所がありませんでした。そこで、カトレア等生産していた知立市の永田氏と小笠原亮氏が中心となり、昭和37年に「日本洋らん株式会社」が設立され、これが洋らん鉢物生産振興に大いに貢献しました。昭和53年には、日本洋蘭株式会社と日本観葉植物株式会社が、名古屋市南区元塩町で合同社屋を完成し、全国の参集市場となりました。さらに、平成8年3月に日本洋らん、日本観葉、福花園花き市場の3社と流通業者が合併して、豊明市阿野町に鉢物専門市場である豊明花き市場が開設されました。このことが、生産量の増大にも大いに貢献しました。
2 洋らん部会の活動
愛知県の洋らん関係組織は昭和23年に日本洋蘭農業協同組合中部支部が結成され、当時は、営利生産者と趣味家が一緒になって活動していました。生産量増加によって営利生産専門組織の必要性が生じ、昭和43年に生産者45名によって愛知県洋ラン組合が設立されました。組合では研究会、県外視察のほかに、品質向上と消費拡大を目的に大口共進会を開催しました。昭和50年には愛知県花き温室園芸組合連合会洋らん部会に改組、事業拡大し、現地研究会、圃場共進会、流通協議会、他県とともに品質改善共進会を開催し、技術向上はもとより、消費拡大、流通改善に努めました。その後も、愛知県花き連洋らん部会員の総力により、世界蘭会議の愛知県での開催、全国花き生産協会洋らん部門の設立を成し遂げ、名古屋国際蘭展を継続的に開催してきました。
○ 技術のあゆみ
年代 | 主な技術等 |
昭和30年代 |
生長点培養技術 |
昭和40年代 |
シンビジウムの山上げによる開花促進、メリクロン培養技術による大量生産 |
昭和50年代 |
植え込み資材バーク主体、デンドロビウムのBA処理による着花促進 |
昭和60年代 |
ファレノプシス、デンファレ等輸入苗の利用、ファレノプシス冷房による開花調節 |
平成10年代 |
シンビジウムのアーチ仕立て |
○ 栽培の流れ
年代 | 主な技術等 |
昭和30年代 |
実生系小型シンビジウム、デンドロビウムノビル系 |
昭和40年代 |
中型シンビジウム、デンドロビウムの四倍体系 |
昭和50年代 |
シンビジウム大型品種マリリンモンローがブームに |
昭和60年代 |
ファレノプシス、デンファレ |
平成10年代 |
オンシジウム・オブリザタム、グラマトフィラム、マスデバリア |
|